初めて色になる

音楽、特撮、雑記

厨二だった頃に戻りたい/2008年の同人サイト

中学2年生だった2008年、私は厨二病を拗らせていた。


時代はちょうどニコ動の黎明期~全盛期。たまたま目にした「涼宮ハルヒの憂鬱」MADを見てハルヒにハマり、アニオタデビューを果たした。
きっかけは何だったのか覚えていないが、人生で一番ハマったアニメは「おおきく振りかぶって」で、水谷文貴に本気で恋をしていた。水谷が篠岡に惚れている描写を見るたび苦しんでいた。
その他にも、ひぐらし絶望先生ローゼンメイデン、ぼくらの等、色々なアニメや漫画を見ていた。音楽はアリプロ・サンホラにドハマりし、立派な厨二病へと成長した。

私が見ていたジャンルだけかもしれないが、ニコ動で「血塗れコラ」が流行っていた。だいたいBGMはサンホラの曲で、殺し合いなんて無関係なキャラの目からハイライトを消し、えんじ色のペンで血を塗りたくっているコラ画像を延々と流すものだった。他にもひぐらしパロも多く存在した。私はこれを毎日狂ったように視聴し、一時期ガラケーの待ち受けにもしていた(危ないやつ)。先日、この頃のHDDを漁ったら、この動画がめっちゃ出てきた。


バトロワパロも大好きだった(……否、今でも好きだ)。ノートにとあるアニメのバトロワパロを、誰に見せるわけでもなくがむしゃらに描き続けた。血をたくさん描かなければいけないので、シャープペンの芯の減りがめちゃくちゃ早かった。この頃は2週間に一度のペースでノートを消費していたため、かさばるという理由から捨てられてしまったのだが、バトロワパロのノートだけでも残しておけば良かったと今でも後悔している。


その後、アニメではないジャンルにハマり、仲間内だけで作品を見せ合うためのホームページを作成した。
この頃もアニメの同人サイトを覗いてはいたのだが、いわゆる「オサレサイト」にめちゃくちゃ憧れた。サイトのデザインはとにかくシンプルに、白背景でグレーのメニューリンク。余計な装飾は一切無い。
他の友人がモバイルスペースなどの携帯向けレンタルサーバーでサイトを作成する中、私は「ポケットスペース」という一切広告が無いFTPを利用するタイプのサーバーをレンタルし、憧れのオサレサイトを必死で真似て作成した。
小説は白背景で上下左右に余白の多いセンター寄せ、タイトルは小説の最後にデカい明朝体で、その下に小さな文字で(きみのためなら、死の向こうにだって行けるのに、)みたいな謎の一文を加えるスタイル。……痛々しい。けれど当時は本当にこのようなサイトが多かった。
当時の私は相も変わらず死ネタが大好きで、カップリング要素なんて一切無いような死ネタばっかり書いてた。炉心融解に感化されまくってた。当然、作品を見せ合った友人には「○○ちゃんの小説ってなんか難しいよね……」とドン引きされたことを今でも覚えてる。
それと、お題素材を借りて小説を書くことも好きだった。「1.教室 2.カフェ」などではなく、「エデンを追われたふたり」「罪をぬぐいさるすべ」みたいな、抽象的なやつから話を連想して書いたりしてた。


そんな痛々しい思い出ばかり作っていたが、HDDに残っている当時のサイトや小説を今見ても楽しいし、この頃に戻りたいなと思う。
現在はホームページ文化はすっかり廃れ、Twitterやpixivで作品を公開している。もちろん、サイトを作るよりも手頃だし、キャラ名を入れるだけで作品がヒットするので、人から評価を受けやすいというメリットもある。
私はどうしても懐古厨なので、サーチエンジンでキャラ名やCP名を入れてサイトを探して、好きな話や文体を書くサイトに巡りあえたときの嬉しさが忘れられない。よく使用していたサーチエンジンは軒並み404エラーだし、昔のPCからブックマークをひっくり返して、インターネットアーカイブを駆使して昔を懐かしむしかない。
作る側から見ても、たぶん、自分から人目のつくところに作品を出すのが苦手なんだと思う。作品を見てもらわなければ評価だって貰えないけれど、自分の運営するサイト内でこっそり公開し、たまに訪れてくれた人が感想を伝えてくれるぐらいがちょうど良かった。人に見てもらうためじゃなく、自己満足で書いていた。
今では感情が揺さぶられるほどハマっているジャンルもないし、絵や小説だってすっかり書かなくなってしまった。厨二病の頃が一番輝いていた。